10月1日に辰巳萬次郎の会で「葵の上」を見た。今まで体験した能の中では、一番パワフルなものだった。 蝋燭能ということで、舞台はかなり暗くされ、周りを囲った蝋燭のたゆたう明かりの中で、パフォーマンスが進行する。若い女の面をつけたツレの巫女に見とれて、ワキツレの廷臣の言葉を聞いていると、ふと橋がかりの第一松のところに六条御息所の生霊が立っている。面をつけているが、蝋燭の光のせいもあって、本当に霊がいるように思えた。萬次郎氏のパフォーマンスは素晴らしく、面が本当の顔のようで、ひとつひとつの微妙な表情が正確に読み取れる。後ジテでは般若の面をかぶるが、これ又、迫力があり、感激しながら、「スピリチュアリティ」ということを考えていた。
歌舞音曲や、神への奉納の舞が大成されたこの芸能はエンターテインメントでありながら、強い儀式性がある。蝋燭の光の中で葵の上の霊が鬼に変わっていく様子を見ながら、霊が降りてきているような気がしたのは、生きている人間に霊が宿るからではないか。儀式性は、霊を呼ぶための準備を整える為のもので、能楽師達は特別に選ばれたシャーマンではないかとさえ思えた。能にはカーテンコールがなく、能楽師達は舞台が終わるとただ儀式にそって退場するのみである。それは霊が降りてきて去った後の舞台を乱さぬよう、静かに去ることによって、「仕える者」としての謙虚な姿勢のあらわれのように思える。